J・P・モルガン② ― 継承

ピーボディはマサチューセッツ州ダンバーズの出身で、学校には2、3年しか通わず、10代のとき父親も無くしています。後に織物商として成功してからも、苦しかった若いころのことがいつも頭から離れなかったようで、もっぱら蓄財と仕事に励み、いつも顔には孤独な陰影を残していました。表向きは愛想がよかったけれど、心のうちでは徹底した倹約家でした。たまに魚釣りに行く以外は休まず、1日平均10時間は働きました。

ピーボディが徹底した倹約家だったことがわかる話があります。ある朝、同僚のモルガンが出勤してきたピーボディの気分がすぐれないのに気づきます。「ピーボディさん、こんな寒さじゃ店にいないでお帰りになった方がいいですよ」と声を掛けると、ピーボディはそれを聞き入れて帰って行きました。それから20分ほどしてモルガンは、王立取引所へ行く途中、雨に打たれて路上に立っているピーボディを見つけます。「ピーボディさん、もう帰られたかと思いました」とモルガンが言うと、「ああ、帰る途中なんだが、モルガン、まだ高い料金の乗合馬車しか来ないので、安いのを待っているのさ」と答えたといいます。このとき、ピーボディの銀行口座は100万ポンド(現在物価ベースで約270億円)を超える額にふくれ上がっていたにもかかわらず、です。

お金の管理に関係する惑星は金星と土星。特に90度で関与するとお金(金星)を閉じ込めてしまう(土星)ということで倹約になりがちで、調停する天体がないとお金を使う事に関して葛藤を生んだり苦い経験をしがちになりますが、ピーボディの場合は金星と土星のアスペクトを持ちません。そのかわり牡牛座の支配星である金星が山羊座に、山羊座の支配星である土星が牡牛座に入る形になり、惑星がお互いの働きを強化・補完しあいます。金星は豊かさの象徴であり、その一つがお金になるわけですが、ピーボディの金星はそもそも土星的な制約を受ける金星なので、何かを楽しむよりも“蓄えることそのもの”に価値を見出す傾向が強くなります。また、金星は水瓶座の太陽ともセミスクエアを形成し、天王星とは135度のハードアスペクトを取ります。その影響により、金星は表現が内側に閉じていき、一般的な楽しみを見つけにくくなります。結果として、蓄財そのものに喜びを見出す傾向が強まるのです。

晩年ピーボディも60歳近くになり、とんでもなく豊かでこれほど倹約家だったピーボディでさえ、心境の変化を迎える時期に来ていました。リウマチに苦しんでいた彼は、世の中で貧しく困っている人たちを助ける人々が世の中にいるのに気づいたのです。

1860年初頭の南北戦争の頃を境に、ピーボディは守銭奴から一転、慈善家に変身します。かつては冷酷な金融業者、浅薄な蓄財家のお手本で、金もうけ以外にまったく能がなかった陰気な彼が、突然に惜しみなく人にお金をくれてやるようになり、その度の過ぎようはかつての金銭欲並みに徹底していました。一挙にそれまでの人生を償わんとして、一生かけて貯めた財産をどんどん吐き出します。ともかくピーボディは、何事も中途半端では我慢できず、慈善活動でも極端に走ったのです。

この頃はトランジットの海王星が春分点を前後しています。奇しくもここ数年の海王星の位置と同じですが、この海王星がピーボディの出生図太陽と進行太陽に調和した小三角を作ります。もともと生まれの太陽は水瓶座30度で魚座という奉仕を見つめている最後の度数で、こだわりを捨てて他者との共有性に目を向けるというテーマを持っています。そうなると最初からピーボディは、クリスマスキャロルのスクールージよろしく、最後に慈善事業をするために途方もない蓄財をするという使命があったのかもしれません。

晩年の活動は、故郷ボルチモアに自分の名を関した基金を設立したり、15万ポンドの信託基金を充てロンドンに貧困者向けアパートを建設したりしました。その建物はガス灯と水道が完備しており、当時としては立派なものでした。この世間を驚かすような博愛行為のおかげで、ピーボディはアメリカ人としては最初に勲章を受けます。さらにエール大学に自然史博物館、ハーバード大学に考古学・民族学博物館をそれぞれ寄付したかと思うと、奴隷から解放されたアメリカ南部の黒人たちのために教育基金を設けました。

ピーボディは多大な寄付と慈善活動によって世間から賞賛されても、パートナーのジューニアス・モルガンに対しては寛大な手を絶対に差しのべませんでした。これは近親者に冷たい水瓶座的ですね。1864年に共同経営の契約期限が切れると、ピーボディは引退します。本来なら、モルガンをロンドンに呼び寄せたときの約束通り、この時点で商会の名儀と恐らくは資本もモルガンが引き継ぐはずでしたが、ピーボディは名儀も資本も渡しませんでした。世間から崇敬されるようになったピーボディにすれば、自分の名前を金融業界からすっかり抹殺して、慈善行為という神聖な世界に大事に奉っておきたかったのでしょう。仕方なくジューニアス・モルガンは、やむなく名前をJ・S・モルガン商会と改めます。ピーボディはモルガンに、オールド・ブロード・ストリート22番地の社屋の賃借権を買い取るようにも迫りました。それでも、10年間にわたる共同経営期間中に44万4千ポンドを超える巨額の利益をあげ、それを折半したので、ジューニアス・モルガンのピーボディに対する怒りはかろうじて収まり、こうして彼は、ロンドンでは随一のアメリカ系マーチャント・バンクをやっと相続したのでした。

参考資料:[モルガン家 金融帝国の盛衰㊤] ロン・チャ―ナウ 著

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