多大な慈善家でありながら、守銭奴でもあったピーボディ。その事業を引き継いだのが、J・P・モルガンの父、ジューニアス・モルガンです。若いころに苦労したピーボディと違い、生まれつき豊かな富に恵まれた育ちのよさがありました。モルガン家は19世紀初頭にはすでに裕福な一族で、農業から始まり、駅馬車、金融、海運、鉄道投資へと事業を広げていきました。ピーボディのボストンでの商売仲間のジェームズ・ビービが、自分の店で3年ほどジュニア・パートナーとして働いてきたジューニアス・スペンサー・モルガンを後継者に推薦したのがきっかけで、1853年5月、モルガン一家はロンドンへ移住、翌年1854年からピーボディのパートナーとして事業参加しました。

記事トップの出生図は出生時間が不明なので正午12時で出していますが、ジューニアスは遺産を継承してビジネスを拡大させ、ピーボディからも事業を継ぐ形でビジネスを発展させています。そのほかにも伝記に記されたものを重ね合わせてみると、個人的には夕方6時半前後の生まれなのではないかと推測します。上記のような出生図だと、ジューニアスの太陽や水星は継承の8ハウスに入り、海王星は3ハウスと4ハウスの間に入ります。大きな邸宅をいくつも持ち、ニューヨークにいる息子のピアポントとロンドンにいるジューニアスが毎年お互いの邸宅を訪ねていたことにも符合しますね。またお金に関する2-8ハウスに月・太陽が入り、創造や投機がテーマの5ハウスにある火星・土星と関係して、投資によって資産を拡大していきます。ジューニアスの牡羊座太陽は右手に蟹座木星、左手に山羊座土星に90度で緩く挟まれる格好になっています。木星の度数は「アメリカ革命の娘」という象意です。アメリカから海を渡り意気揚々と新しい地において金融業を始めたピーボディと、その後を引き継ぎイギリスにおいてアメリカを代表する金融資本家となったジューニアスを象徴するような蟹座木星です。また、土星は山羊座にあり、土星の象意を二重に強調します。土星は火星と合で牡羊座の金星とタイトにスクエアを形成し、事業において一人で何でもやる多彩な才能と、高く大きく掲げた目標に自らを抑圧するような息苦しさも見えてきます。ジューニアスは銀行家特有の用心深い雰囲気がありました。まるで彼の人生に、屈託のない若者時代はなかったかのようで、しかめっ面で商売一筋で、いつも感情を抑えて表に出しませんでした。
息子のピアポントは、若者らしく元気いっぱいでしたが、内気な反面怒りっぽく突然気の変わる躁うつの傾向がありました。また、いつも顔面の吹出物が悩みの種で、そのために人前では病的なほど内気だったし、幼い頃は絶えず病気にかかっていました。ジューニアスは、息子の中に矛盾した性質を見て取ると、決然たる態度でピアポントを鍛え始め、徹底的に息子の育成に関わり将来の事業計画のうちにピアポントを組み込みます。紳士教育として、外国語を習得させ外国の事柄に慣れさせようとスイスの寄宿学校へ送り込んだり、ビジネスパートナーを探し引き合わせ、その共同事業に出資し、その共同事業者が引退するとまたその後任のパートナーを探してやりました。
日々の食事の仕方にまで口を出し、さらには再婚相手を探して結婚させるなど、父として息子が何をしでかすかとそればかりが心配で、些細なことも見逃さず絶えず教え諭すのに忙しかったようです。ジューニアスのホロスコープでは、冥王星と水星の緊張関係が見られます。これは“徹底的に教え込む関係性”を示します。また、太陽と冥王星が創造を表す5系列の角度を取っており、まるで自分の分身を創造するかのように息子の伴侶やビジネスパートナーなどを用意し有無を言わさず引っ張っていく様はまさに冥王星の支配であり、後継者を作るための設計に近かったでしょう。
伝記の中では母親が育児に関わった記述があまりなく、銀行家が世襲的なもので、銀行の信用は父から子へ伝えられる家族経営であったためモルガン家という帝国の事業をメインにしたものであることも理由かもしれません。1857年の金融恐慌に動転したジューニアスは以前よりいっそう用心深く、かつ疑い深くなり、息子に対してもくどいほどに慎重な商売の仕方を身につける必要を説き始めました。ジューニアスは、ひどく厳しいタイプの父親で、息子をほめることはあまりなく、厳格な基準ばかり設け、つねに精神的圧力を加えて自分の力で何でもやらせました。ピアポントは事業においてとんでもない暴走をやらかしても、基本的に父ジューニアスには忠実で、ニューヨークでの彼の主な仕事は、父親に政治・金融情報を送ることでしたが、このあたりも水星・冥王星のセミスクエア的な関係性が見て取れます。マーチャント・バンクにとって、政府の資金調達や得意先企業の信用状況についてのニュースは必須だったのです。33年間、ジューニアスとピアポントの父子は、一心同体となって働き、毎年秋には父がアメリカを訪問し、春には息子がロンドンにやって来るのが慣例でした。こうして父と子は、単なる親子ではなく“金融帝国を動かす一体の存在”として結びついていったのです。
参考資料:[モルガン家 金融帝国の盛衰㊤] ロン・チャ―ナウ 著