タイタニックを生き延びた人々―幾度もの沈没事故から生還した奇跡のふたり

普通であれば、人生で沈没する船に乗り合わせ、そこから帰還するという経験をする人はあまり多くありませんが、この非常事態から幾度も生還を果たした二人の人物をご紹介します。二人ともタイタニックに乗船していましたが、彼らにとって船の沈没は初めてではなかったのです。

バイオレット・コンスタンス・ジェソップ

彼女はアルゼンチン出身の遠洋定期船の客室乗務員、看護師であり、タイタニック号(1912年)を含め、その姉妹船であるオリンピック号(1911年)とブリタニック号(1916年)の合計3回の海難事故を生き延びています。

彼女は子供の頃、結核とみられる重い病気にかかり、医者から余命わずかと言われるも奇跡的に回復。その後、貧しい生活のなかで幼少期の多くを幼い兄弟の世話を見ています。彼女が16歳のとき、父親は手術による合併症で亡くなり、家族はイギリスに戻り、母親がロイヤル・メール・ラインの客船の客室乗務員として働いている間、妹の世話をしながら修道院付属の学校に通います。母親の健康状態が悪化すると、彼女は学校を退学し、母親のあとを追うように客室乗務員となります。

初めての勤務として乗船した豪華客船オリンピック号は沈みはしなかったものの、オリンピック号の水流に巻き込まれたイギリス海軍の軍艦ホークと衝突して出港したサウザンプトン港まで引き返す事態となります。バイオレットの初勤務はわずか数時間で終了。そしてその翌年、タイタニックの沈没の目撃者となるのです。彼女は決して沈むはずのない船と呼ばれた豪華客船が傾き浸水し始めているという衝撃的な光景を見て一瞬、思考停止しますが、すぐさまパニックになった乗客をなだめ、率先して各客室をまわり、暖かい衣服の着用や貴重品の携行、救命胴衣の配布、着用の仕方などを教えます。タイタニックが沈み、もう客室乗務員の仕事は嫌だと思いつつもバイオレットは生活のために賃金の良い客室乗務員の仕事を続けます。

そのうち第一次世界大戦が始まり、戦時中の病院船として、防水隔壁の改善や十分な数の救命ボートを搭載したブリタニック号に乗船します。しかし、このブリタニック号もドイツ軍潜水艦が敷設した機雷に触れ沈没。救命ボートに乗ったバイオレットですが、スクリューに救命ボートが巻き込まれ、頭蓋骨を骨折してしまいます。しばらく頭痛には悩まされたようですが、職場に復帰し、その後30年間、客室乗務員として勤務を続けます。

アーサー・ジョン・プリースト

アーサーは蒸気船の機関室でエンジンの稼働や手入れをする火夫として働いていました。彼は第一次世界大戦中に4度の船の沈没事故と2度の大きな衝突事故を生き延びています。それらの船というのは、アストゥリアス号(1908年)、オリンピック号(1911年)、タイタニック号(1912年)、アルカンタラ号(1916年)、ブリタニック号、ドニゴール号(1917年)。バイオレットの上を行っていますね。

彼はドニゴール号の沈没後、さすがに自分が乗る船は沈みすぎではないかと思い、海での仕事を退きました。数々の海難事故ののち、誰も彼と一緒に航海したがらなかったそうです。

運が良いのか悪いのか、不思議な人生を歩んだ二人。生死紙一重の状況から何度も帰還する強い運勢といえば、やはり冥王星と個人天体の関わりが思い浮かびます。バイオレットは太陽・冥王星が5度差、アーサーは金星・冥王星が1度差でトラインです。もし自分の周りに強い星回りを持つ人がいたら、非常時にはその人に張り付きましょう!

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