ピアポントはアメリカにおける大きな金融危機の数々を救ってきましたが、その中でも大きなものに1893年恐慌と1907年恐慌があります。
1893年恐慌は、鉄道会社への過剰投資と金融不安を背景に発生したアメリカの大規模な経済危機でした。フィラデルフィア&レディング鉄道の経営破綻をきっかけに、取り付け騒ぎに発展。数千の企業倒産、約500行の銀行倒産に加え、失業率は15〜20%に達するなど社会問題となり、さらに、金本位制のもとで政府の金準備が減少したことで、国家の信用そのものへの不安が高まり、危機は一層深刻化。

3重円のチャートは主要株価指数が1日で24%下落したニューヨーク株式市場の歴史的な大暴落を起こした恐慌の幕開け日です。ドラゴンヘッドというポイントは人生における社会との接点や、大きなドラマを生む運命的な流れをもたらすものでもありますが、ピアポントはこの時期ドラゴンヘッドの3回目の回帰であり、社会が求める役割が強く押し出される時でした。3回目の回帰は土星の年齢域にもなるので、その意味が強調されます。また、彼は企業間の対立や金融危機が起きた際には調停を依頼されることが多く、ピアポントの火星に公転周期の大きな惑星がグランドクロスという緊張度の高い配置を形成、またそれを調停する冥王星・海王星も関与しています。
こののち、1895年2月8日、危機の収束に際し、ピアポント・モルガンは銀行団を率いて約6,500万ドル(現在の約3,800億円)政府に供給。これにより政府の信用は回復し危機を脱しますが、その際に仲介手数料や金利を要求したため、国難を利用して私腹を肥やしたとか、なぜ一私人の銀行家が国を救うのか?という批判を浴びることになります。この日はピアポントの絶大な資金を生む2ハウスの金星・冥王星に傷や癒しを表すキロンが180度を形成。彼の国家を救うほどの金融支配力がキロンに触れ、この17年後、その巨大な権力構造に対する社会の疑問と共に彼をプジョー審問会に引きずり出すことになります。
国庫と金融市場をゆるがした1893年恐慌から14年後の1907年恐慌は、ピアポントが最後の花を咲かせたときでした。それまでは定期的に出勤しても一日に1、2時間しか働かない、半ば引退の状態でしたが、突然にアメリカの中央銀行に代わる役割を老いたピアポントに求められたのです。
1907年秋、アメリカは再び深刻な金融危機に見舞われます。投機に失敗した投資家グループの破綻をきっかけに不安が広がり、人々は銀行や信託会社へ預けていた資金を一斉に引き出し始めました。取り付け騒ぎは瞬く間に金融機関へ波及し、株価は急落。市場には恐慌の空気が漂いました。
当時はまだ連邦準備制度(FRB)が存在せず、金融システムを支える中央銀行もなかったため、危機対応の中心となったのは、政府ではなくウォール街最大の金融実力者であったピアポント・モルガンでした。

暗黒の木曜日と言われる1907年10月24日のチャートです。前回の恐慌ではドラゴンヘッドが回帰していましたが、この時は90度で関与しています。また、YODを形成する月・土星・冥王星にトランジットの海王星が関与しています。海王星は市場心理の混乱や不安の拡大を象徴しますが、蟹座海王星が表すものは国家金融における混乱であり、それをきちんと整理したいピアポントの乙女座の月が土星と共に立て直しをはかります。
ユナイテッド・コッパー社株の投機失敗をきっかけに金融不安が広がり、やがてニューヨーク有数の信託会社であるニッカーボッカー・トラストが破綻すると、取り付け騒ぎはトラスト・カンパニー・オブ・アメリカやリンカン・トラストへも波及。連日の資金流出によって市場は混乱し、株価も急落しました。ピアポントは中央銀行の存在しなかった当時、危機の収拾役を担います。彼は銀行家たちをまとめて救済資金を調達し、市場の信用維持に奔走しました。しかし11月に入ってもなお、金融システムを揺るがしかねない最後の問題が残されていました。
1907年11月2日の夜、金融恐慌の収束は目前に見えながらも、まだ大きな火種が残っていました。証券会社ムーア・アンド・シュリー社(M&S)が巨額の負債を抱えて倒産寸前。問題は、同社が借金の担保としてテネシー・コール・アイアン・アンド・レールロード社の過半数株を保有していたことでした。もしM&Sが破綻し、その株が市場に放出されれば株価は暴落し、株式市場全体が再び混乱に陥る恐れがあったのです。さらに他の証券会社へも倒産が連鎖しかねず、せっかく収まりかけていた金融危機が再燃する可能性がありました。
そこでピアポントは、この危機を一挙に解決する大胆な策を思いつきます。自らが育て上げたUSスチールにテネシー・コール社を買収させるというものでした。これによりM&Sは救済され、市場への株の投げ売りも防ぎ、しかもUSスチールは豊富な鉄鉱石や石炭資源を手に入れられるため、ピアポントにとっても大きな利益となる一石三鳥の計画でした。
しかし、この計画を実現するには信託会社各社から2,500万ドルもの救済資金を引き出さなければならず、社長たちは資金拠出に難色を示していました。そこでピアポントは、銀行や信託会社の役員たちを自分の書斎に集めると、交渉がまとまるまで彼らを事実上その場に閉じ込めてしまいます。これは以前の記事でも取り上げた、獅子座火星に絡むYODを使ったピアポントお決まりの手法です。部屋に閉じ込められた会社役員達は、夜を徹した議論の末、翌朝5時近くになってようやくピアポントが姿を現し、疲労困憊した信託会社代表のエドワード・キングに向かって、「ここに座りたまえ。ペンはここだ」と署名を促したのです。
徹夜の交渉で消耗しきった役員たちはついに折れ、2,500万ドルの拠出に同意します。こうして金融システムは救われ、危機は収束へ向かい、同時にUSスチールはテネシー・コール社を手に入れることになったのです。この一件は、ピアポントが「金融恐慌を救った英雄」として称賛される一方で、「危機を利用して自らの事業帝国をさらに拡大した策士」でもあったことを象徴する出来事となります。
参考資料:[モルガン家 金融帝国の盛衰㊤] ロン・チャーナウ 著