2026年の現在、冥王星が水瓶座に入りAIなどのテクノロジーが一層加速しています。山羊座冥王星という巨大権力や財閥、国家権力、相続制度が強固なものだった時代が終わり、少しずつその形を変えてピラミッド構造がなだらかになっていく時代に入りました。形あるものはその形を変容させ、その器の中にあるものも一緒に変わってゆかなければなりませんが、法律や習慣を変え、新しい生活に心を順応させていくということは、AIの進化のように一足飛びにゆくものではありません。まだまだ現代でも男性継承の文化は根強くあり、女性経営者もだいぶ増えてきたものの、代々続いてきた老舗企業において「女性が財産を持つ」のと「一族の象徴として家督を継ぐ」は別問題であり、まだまだ保守的な傾向はみられるのが現在の立ち位置といったところでしょうか。
今と昔で、根幹はまだあまり変わらないように見えますが、19世紀頃のアメリカでは、マーチャント・バンキングを営む一家では、家業の負担はすべて一族の男子後継者の肩にかかってきます。現在のような株式公開の会社と違い、当時のマーチャント・バンクは株式を公開しない一種の合名会社であり、その経営や企業価値は、一族の資金力や知名度、信用に大きく依存していました。もし一族の男子相続人が家業を引き継ぐのを嫌がれば、廃業せざるを得ない場合もあり得たのです。そういうわけで、モルガン家の期待は、まずジューニアスによってピアポントに、それからピアポントによって息子ジャックにかけられました。どちらの場合も、家業を継ぐという心理的圧力が影響して、典型的な父子の間の緊張をとてつもなく高めることになったのです。今回はモルガン帝国の礎を築いた父、ジューニアスと息子ピアポントの関係を見てみましょう。
父ジューニアスは4月14日生まれですが、父の牡羊座太陽とわずか3度差という非常に近いところにピアポントの太陽があり、父の意思と事業を継ぐということについて彼は小さいころから疑問は持たなかったでしょう。ピアポントには、3人の姉妹のほか弟が一人いましたが、12歳で天逝したので、父のジューニアスが金融帝国を築く大望を託したのは、男子相続人たるピアポントでした。

ピアポントの相続の部屋には蠍座土星があり、その土星は牡羊座冥王星と150度を形成していました。さらに蠍座は冥王星支配のサインであるため、土星冥王星的な重圧感はより強調されます。その重い責任や継承の圧力を感じやすい配置は、彼の金星にかかってきます。それはまるでピーボディから父ジューニアスと継承してきた壮大な遺産を、さらに大きくして新しい金融の枠組みを構築せよという暗示のように、社会における使命のポイント・MCと関わります。
ピアポントの幼少期や心を表す月は乙女座7ハウスにあります。彼は幼少期から経済的にはしっかりしていた半面、手に負えぬほど気弱だという矛盾した性格だったため、父ジューニアスは決然たる態度でピアポントを鍛え始め、「みんなの影響を受けると、きっとよい結果になる」と言って、学友たちと付き合うよう命じます。またピアポントの生活のどんな些細な点をも見逃さず、「お前は概して食事の平らげ方が速すぎる。そんなことをしていると健康によくない」とまで口出ししていました。乙女座は前へ前へと出ていくようなサインではなく、控えめで心配性で、几帳面な女性的傾向を持ちますが、その乙女座の月が7ハウスという対人関係の隠れた場所にあります。父ジューニアスの山羊座の火星・土星が部屋に閉じこもりがちなピアポントの月を外に出るように促します。土星という星は責任やルールといった意味合いを伴いますから、父として、生活上の注意やマーチャントバンカーとしての商売上の教訓などを説教口調でその後何十年間も息子の耳に入れ続けることになるのでした。
火のサインに6つの天体を持つピアポントは無鉄砲でわがままで、父ジューニアスに正面からぶつかるほど剛毅でした。火のサインが多くなると理屈より勢いで動きやすく、エネルギッシュな傾向が強く出ますが、そんな息子をしっかり押さえておく必要があったので、父の将来の事業計画のうちには早くからピアポントのことがありました。そして33年間、ジューニアスとピアポントの父子は一心同体となって働き、毎年秋には父がアメリカを訪問し、春には息子がロンドンにやって来るのが慣例でした。個人生活の面でも、ピアポントは1865年5月フランシス・ルイーザ・トレーシーと再婚しますが、ピアポントの初回の結婚に比べると、父の意向が強く働いた上流階級同士の縁組という要素が強く見受けられます。
父ジューニアスの出生図の太陽は土星・冥王星の強い関与を持ち、その強い規律と支配の精神を、そのままピアポントの太陽に投げかけるように、自身が作り上げたものを確実に息子に継承させようとします。そのため父と子の関係は、彼の人格形成に最も重要な役割を果たしました。ジューニアスはひどく厳しいタイプの父親で、息子をほめることはあまりなく厳格な基準ばかり設け、つねに精神的圧力を加えて自分の力で何でもやらせました。ピアポントには強い目的達成意欲と責任感がありましたが、ジューニアスのしつけはこれらをさらに強固にしました。モルガン一族は家父長を重んじ、反抗は一切許されず、尊敬あるのみでしたが、表向きは厳しいその顔の下で、ジューニアスはピアポントを深く愛していました。異常なほど厳しいしつけをしたのも、息子の才能を認めていたからこそだったのです。その愛情表現のひとつとして彼は1876年、当時の世界で一番人気の高かったと思われる、ゲインズバラ作の油絵『デヴォンシャー公爵夫人』を買ってやることにしました。ロスチャイルド家がすでにその絵を入手しようとしていたので、ジューニアスは、ボンド・ストリートのアグニュー画廊に5万ドル(現在の約2億2千万円前後)を出しても競り落とす覚悟でした。ところが競争入札が行なわれる前に、その絵が画廊から盗まれ、残念ながら1000ポンドの報償金を出しても取り戻せませんでした。しかし父の死後その絵が1901年に再び現れると、ピアポントが3万ポンド(現在の約8億円前後)で急いで買い取ります。ピアポントは「真相が知れたら、私は気が狂ったかと思われかねない」と言っていましたが、この途方もなく高額な絵は亡き父ジューニアスが息子への愛情を形にしたものであり、彼にとってはとても特別なものだったのです。
ピアポントは、1904年にロンドンのプリンセスゲート13番地の父ジューニアスの旧邸の隣りのタウンハウスを買収したのち、この2軒を改装して父を記念する美術館にすることにします。しかしロンドンの旧邸を拡張しても収集品を全部収納できないとわかると、父を記念して墓地のあるハートフォード市に工費140万ドル(現在の約72億円前後)をかけてモルガン記念館を建て、同市のワズウォース美術館に寄付したのでした。当時の金融帝国の土台を作った親子の金星冥王星はスケールが大きすぎてイメージが難しいですね。
参考資料:[モルガン家 金融帝国の盛衰㊤] ロン・チャ―ナウ 著