J・P・モルガン⑦ ― ピアポントの赤鼻と水瓶座アセンダント

現代では写真を撮っては自分の気に入るように写真や画像を加工できるようになりましたが、誰もが自分の容姿について、もっとこうだったらいいのに、と気にするような部分があるでしょう。ピアポントの場合、それは鼻でした。

小さいころからいつも顔面の吹出物が悩みの種で、そのため人前では病的なほど内気でした。そしてそれは成人しても治ることはなく、むしろ一層ひどくなり、自分のコンプレックスの一因となりました。占星術ではパッと見の印象などはアセンダントというポイントに関与します。ピアポントはアセンダントが水瓶座にあり、その支配星は天王星です。この天王星と傷を表すキロンが緩くスクエアをとり、双子座のキロンはまたその支配星の水星と45度を形成するという緊張度の高い配置を持っています。さらに天王星とプライベートを表す乙女座の月が赤緯度数で強く関連しています。このため、ピアポントはおかしいほどプライバシーを気にしていて、新聞記事のために写真を撮ろうとするカメラマンにステッキを振るいながら怒鳴りつけたりしていました。これがシルクハットをかぶった財界巨頭といった固定観念を一般大衆の間に植え付けました。

ピアポントは40代も半ばになってくると、それまでの元気のよいたくましい青年実業家から、いかめしい容貌とふくらんだわし鼻をした、かっぷくのよい財界大御所に変身します。髪や眉毛に白いものが混じり始め、天神ひげを蓄えていました。若い頃から悩みの種だった紅斑性痤瘡が鼻に根づいて、ウォール街の噂にのぼるほど大きな赤鼻となっていた。その鼻は長年のうちに崩れ、カリフラワー状の肌へと変わっていき、研究者の間には、この鼻とピアポントの激しやすい気性を関連づける者も多くいます。ピアポントのアセンダントは牡羊座太陽と関連しているのでプライドも高く、この鼻が社交の場での居心地の悪さと対人場面での緊張感の一因になっていたのは確かで、その照れかくしのために怒鳴ったり暴君的な態度をとったのではないかと言われています。

1903年に彼は、写真家エドワード・スタイケンの前に2分間ほど座って、かの有名な肖像写真を撮ってもらうことになります。それを見ると、ピアポントは深い暗がりの中から、刃のように光って突き出る椅子の腕をしっかり掴んでじっと正面を見つめていますが、緊張したしわを眉間に浮かべ、カラーをこわばらせ、その両眼が冷酷な2つの光の点となって威圧的に凝視するさまは、のちに語り草になったほどです。スタイケンが撮影中に何度も横を向かせようとしましたが、ピアポントは、自分の鼻のことを強く気にして真正面を凝視したままでした。この肖像写真は、彼が怒って憤然とした瞬間をすばやく撮ったもので、彼は気に入らず、最初に出来上がった印画はずたずたに破り捨てられてしまいます。怒りが収まって考え直したピアポントが、5000ドル(現在で約2600万〜2800万円)という桁外れの写真代を払うからと言いましたが、ひどく誇りを傷つけられたスタイケンは、2年間ほど写真を渡すのを渋ったそうです。

年齢をとるにつれて、紅斑性痤瘡のせいでピアポントの鼻は異常にふくれ上がり、形が醜くなっていきます。公式の発表写真では、この赤鼻が必ず修正されていたので、彼の顔をじかに見た人たちは一層驚いたことでしょう。ウォール街のシラノ・ド・ベルジュラックに初めて会ったときの印象を、画商のジョーゼフ・デュヴィーンは、「風刺漫画の身でも、こんな巨大な大きさだったり、こんなぞっとするようないぼいぼの出ているものはなかった。私は、驚いて絶句しなかったとしても、顔色を変えたかもしれない。モルガンはそれに気づいて、小さな鋭い目で私を意地悪そうににらみつけた」と記しています。

モルガンのこの鼻と短気な性格とを結びつける逸話は数多くあります。自分の鼻を物笑いの種にした者にはいつも怒り狂って復讐したので、「ルビー色の鼻をした大富豪」と書いたのが命取りになり、その後立ち直れなかった作家もいました。また、“100万ドルの賭博師”ゲーツは彼に“赤鼻”というあだ名をつけたところ、ピアポントの反対でユニオン・リーグ・クラブとニューヨーク・ヨット・クラブから除名されてしまいます。

幼少期から悩まされた紅斑性痤瘡の鼻という傷を表すキロンには、獅子座木星・火星と牡羊座冥王星との調和した小三角があり、獅子座らしくその鼻を含めた自分のプライドを晩年回復するエピソードがあります。

ピアポントは、この鼻の問題の治療にはあらゆる努力をして、英国のアレグザンドラ妃の勧めた電気療法も受けたが、なかなか治りませんでした。その後、達観した境地になった彼は、これを誇るべきしるしにすることに考えを入れ替えました。当時の帝政ロシアの蔵相だったヴィッテ伯爵から手術を勧められたとき、彼は、「私の鼻のことは周知の事実だ。これなくしてニューヨークの街を歩き回ろうたって無理なことだ」と答えています。さらにもっと大きく出て、この鼻は「アメリカ実業界の一部だ」と述べたこともありました。

ピアポントがハンサムな若者を雇いたがったのは、きっとこの鼻のコンプレックスがあったからでしょう。かつてモルガン商会のパートナーといえば、鉄道業界再編成という激務に引き込まれて苦労した専門家という定評がありましたが、やがてお上品で、最新流行の服を着た、大金持ちの顧客向けにもってこいの、人当たりのよい良家出身者という定評に変わっていきました。「地味な者がモルガンのパートナーに選ばれる機会はまったくなかった」とピアポントのある伝記作者は書いています。そのお手本は、J・フッド・ライトの急死後の1894年にパートナーとして採用されたロバート・ベーコン。スポーツマンらしいがっしりした体をきちんとした身なりで包み、たくましい角ばった顔に口髭を蓄えたベーコンは、ウォール街きっての男性美の典型と呼ばれていました。彼はハーバード大学出身で、ボクシングをやり、100ヤード競走を走り、フットボール・チームのキャプテンとなり、グリー・クラブの会長を務めていました。モルガン商会に彼が登場したことは、モルガン・パートナーの新しいイメージの幕開けを告げるものでした。ピアポントは、ベーコンを猫可愛がりして絶えずそばに置きたがり、まるでベーコンと「恋に落ちた」みたいで、「彼が目の前にいると喜んだ」ということです。まるでベーコンはピアポントの出生図の獅子座火星ですね!近くには承認の木星、対角には海王星。こうでありたかった理想の男性像、といったところでしょうか。続きます。

参考資料:[モルガン家 金融帝国の盛衰㊤] ロン・チャ―ナウ 著

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